扇子は日本で発案されたと考えられています。扇子がどのように誕生し、発展してきたのか詳しく掘り下げてみましょう。
扇子の誕生
エジプトや中国など世界各地で古代から扇が存在していたことが分かっています。
中国のさしば(翳)という、うちわ(団扇)を模した埴輪が古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の6世紀のおおむろこふんぐん(大室古墳群)で出土しています。
佐賀県にある弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)中期末の、りたいせき(利田遺跡)で、うちわ(団扇)の柄が出土しています。
また、飛鳥時代(592年~710年)末期の、たかまつづかこふん(高松塚古墳)に、さしば(翳)が描かれています。
7世紀から8世紀の歌を集めた『万葉集』や、文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)までの歴史を記録した『続日本紀』に「扇」と記されているものは、中国式の扇だったと考えられています。
中国で「し」(翅)と呼ばれた扇は、鳥の羽根や絹で作られた高価なもので、主に儀式や装飾に用いられました。その扇が、7世紀頃に遣隋使や遣唐使により中国から日本にもたらされました。
日本の夏は高温多湿で蒸し暑いため、何らかの方法で扇ぐという行為は自ずと行われていたことでしょう。そして中国からも伝来し、支配階級では高級な扇ぐ道具が使われていたことが分かります。しかし、中国の扇は、日本の扇子の直接の祖先ではありません。
中国の扇は折り畳み式ではありませんでした。扇子は、日本で独自の発展をとげたものです。
ひおうぎ(檜扇)
まず、登場したのが、ひおうぎ(檜扇)です。素材は主に檜です。木簡(文字を書く木の札)を重ねて端に穴を開けて、こより(紙縒)で一つに束ねられています。そして、木簡どうしが紐でつながれていて、開閉できるようになっています。長さは約30 cmで幅は2〜3 cmでした。
木簡は文字同様に古代中国から日本に伝わりました。もともとは竹を用いた竹簡でしたが、木材も使われるようになりました。
木簡を並べ、紐を通してまとめたものを「さつ」(冊)といいます。冊は巻き簾のような構造をしています。見ての通り、木簡を編んだものが「冊」という漢字の原型になっています。木ではなく紙に文字を書くようになった現在でも、書籍を数えるのに使います(例:1冊、2冊、3冊)。木簡は文字を記すためのものであり、中国ではこれが扇に発展することはありませんでした。
奈良時代(710年~794年)の遺跡である、ながやおうてい(長屋王邸)から出土したものが、現存する最古の檜扇だといわれています。平安時代(794年~1185年)中期の『わみょうるいじゅしょう』(倭名類聚抄)には、折り畳み式の扇(和名阿布岐)と中国風の団扇(和名宇知波)が区別され記されています。
初期のひおうぎ(檜扇)は、貴族の男性が、しゃく(笏)として使用していました。しゃく(笏)は束帯着用時に右手に持つ細長い板で、備忘のためにしゃくし(笏紙)を貼るものでしたが、やがて威儀を整える装飾的なものとなりました。
ひおうぎ(檜扇)は、形状が洗練され扇面には絵が描かれるようになり、紐は装飾性のあるものになりました。かなめ(要)は紙縒から木釘に変わり装飾性のある金具で補強され、安定性が増しました。
その頃には、宮中の女性もひおうぎ(檜扇)を使うようになりました。女性の持つひおうぎ(檜扇)は、あこめおうぎ(袙扇)と呼ばれました。とっさに他者の視線を遮るためにも用いられました。この使用方法は中国の扇と共通しています。
平安時代(794年~1185年)になると、ひおうぎ(檜扇)は貴族の正装になくてはならないものになりました。扇面に和歌を書いたり、花を載せたりして贈るといった描写を蜻蛉日記(かげろうにっき)や源氏物語などの文学に見ることができます。
このように扇子は、かなり初期の段階から扇ぐ以外にも書写や礼儀、贈答といった文化的な目的に用いられていました。
かわほりおうぎ(蝙蝠扇)
その後に登場したのが、5本ないし6本の細い骨の片面に紙を張り付けた紙扇の、かわほりおうぎ(蝙蝠扇)です。名前の由来は「広げた形状がコウモリ(蝙蝠)に似ているから」といったものや「かみばり」(紙貼り)が訛ったなど諸説あります。
神功皇后がコウモリの翼にならったという伝説があります。成立時期は詳しく分かっていませんが平安時代(794年~1185年)の中頃には存在したことが知られています。
中国との交流
中国の『宋史』の「日本伝」には、北宋の端拱元年(988年)に日本の僧、奝然の弟子である喜因が中国に渡った際に、ひおうぎ(檜扇)20枚と、かわほりおうぎ(蝙蝠扇)2枚を献上したと記されています。
このように鎌倉時代(1185年~1333年)には、日本の折り畳み式の扇、しょうせん(摺扇)が中国に伝わりました。その時は、まだ片貼扇でした。
中国で、おりおうぎ(折扇)と呼ばれた扇子は、明の時代には製作規模が大きくなり広く普及しました。中国で扇子は両面に紙が貼られるようになりました。それが室町時代(1336年~1573年)に、とうせん(唐扇)として日本に逆輸入されました。扇子を閉じた時の先端の形状により、末広/中啓、雪洞、鎮折という基本形式が確立されました。そして唐扇の特徴を持った扇子に日本画を描いたものが、明に大規模に輸出されました。
江戸時代の扇子
江戸時代(1603年~1868年)になると、扇子は庶民にも普及しました。暑い夏に涼むための日用品となり、多くの人が携行しました。この頃、流行していた浮世絵が扇面にも用いられ、高級なものは芸術作品として高値で取引されました。
江戸時代(1603年~1868年)後期には素材(竹、和紙、絹など)が改良され軽量化し、用途にあわせて様々なサイズのものが登場しました。また、凝った細工が施されるようになりました。
そして、現在の扇子へと発展していきます。
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著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile
Follow @nagatackle小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIRISM』(ミニリズム)の創設者。後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をオープン。
かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。スペース カルチャー & エンターテインメント ハブ『The Space-Timer 0』をローンチ。
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