書院の茶室とは

書院の茶室とはデザイン

書院茶室(読み方:しょいんちゃしつ)。初期の茶室は、貴族の住宅様式「寝殿造」が発展して成立した武家の住宅様式である「書院造」が定着していきました。これらは元々、中国から導入した唐風建築を日本で独自に発展させたものです。「書院茶室」は六畳や八畳などの広さのものがあります。

茶は平安時代(794年~1185年)に日本に伝来しましたが、茶文化は一度廃れました。(茶の日本伝来

その後、室町時代(1336年~1573年)の頃に現在知られる「書院茶室」が形作られていったと考えられています。銀閣寺(慈照寺)の同仁斎に書院茶室の原型をみることができます。

また、室町幕府の足利将軍の邸宅「室町殿」にある南向会所には、茶を点てるための「茶湯所」がありました。参照:正平6年・観応2年(1351年)制作の絵巻物『慕帰絵詞』巻五。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590852

「書院の茶」は中国の仏教寺院で行われた茶礼が日本に持ち込まれ発展したものです。したがって中国の影響が色濃く残っており、茶道具や茶碗、掛軸、置き物などは、中国風の唐物がもてはやされました。

「書院の茶」は基本的に台子を用います。日本の禅宗寺院を中心に喫茶文化が普及したことから「書院茶室」の成立過程には禅の思想が色濃く見られます。

著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile

小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)の創設者。欧州各地でライターとして様々な分野で活動し、後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。

かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
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