茶の日本伝来

茶の日本伝来デザイン

茶室は、お茶を抜きにして語ることはできません。平安時代(794年~1185年)に遣唐使に同行した留学僧で後に伝教大師と呼ばれるようになる最澄が、茶の種子を持ち帰ったことが日本における茶の歴史の始まりです。最澄は、比叡山麓の坂本に茶を植えたとされます。

弘仁6年(815年)に嵯峨天皇が近江国の韓崎にある梵釈寺に行幸した際に、大僧都・永忠が煎じて献上したのが、茶事について現存する最古の記録です。

日本での茶の文化は、一時は廃れてしまいますが僧侶、栄西が建久2年(1191年)に宋(南宋)から帰国し、持ち帰った茶を肥前国の霊仙寺で栽培し、承元5年(1211年)には日本で最初の茶書となる『喫茶養生記』を著しました。栄西が契機となり、鎌倉時代(1185年~1333年)には喫茶の習慣が禅宗寺院などで普及しました。

平安時代に伝わったのが固められた餅茶(団茶)であったのに対して、栄西が宋で触れた茶文化は禅宗寺で嗜まれる抹茶だったといわれています。

室町時代(1336年~1573年)には、会所などでお茶が出されました。室町幕府の足利将軍の邸宅「室町殿」にある南向会所には、茶を点てるための「茶湯所」がありました。参照:正平6年・観応2年(1351年)制作の絵巻物『慕帰絵詞』巻五。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590852

また、室町時代に新興勢力となった婆娑羅の武士の間で、飲んでお茶の種類が「本茶」か「非茶」かを推測する「闘茶」という催しが粋な遊びとして人気を博しました。茶木の生育に適した気候の栂尾で生産された茶は質が高いことから「本茶」、その他の銘柄は「非茶」と呼ばれました。闘茶は賭け事にもなり、あまりにも流行ったため、やがて幕府により禁止されるまでになりました。

香りや風味などから銘柄や産地を当てる「茶香服」という「闘茶」に似た催しが今日でも、日本各地のお茶所で行われています。

「闘茶」のために人々が集った会場は「会所」と呼ばれました。茶事のために特別にしつらえられた建築ではありませんでしたが、やがて茶室が誕生する切っ掛けを生んだということができるでしょう。

その後、喫茶が茶道となり、茶室とともに日本独自の文化として発展を遂げてゆきます。

著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile

小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)の創設者。欧州各地でライターとして様々な分野で活動し、後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。

かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
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