「綺麗さび」の茶室とは

「綺麗さび」の茶室とはデザイン

利休七哲の一人である古田重然(通称、古田織部)は、千利休の影響を受け「草庵の茶」にさらなる革新をもたらしました。千利休は当時としては非常に斬新な手法で「侘び茶」の世界観を大成させました。古田織部は、その方法論を受け継いでさらに新しい試みを行い、創造性を積み上げました。

例えば「侘び茶」の空間に、対極に映る貴族の和歌などの風雅を持ち込みました。「侘び茶」の中に点在する王朝文化。それは、まるで水の中に油を一滴落とすような創意です。また、茶碗をあえて割り、漆で継ぎ合わせました。これが、いわゆる「破調の美」です。

千利休が「自然の中に美を見出した」とすれば、古田織部は「自然からの美の創造」を追求しました。千利休が自然をひたすら磨き上げたのに対して、古田織部は人の手により自然から芸術を形作りました。

古田織部に師事した小堀政一(通称、小堀遠州)は、当時すでに本流ではなくなっていた王朝風の茶道具を珍重しました。これらの茶道具は後に「中興名物」と呼ぶようになりました。また、小堀遠州は、七宝細工を茶室建築に初めて持ち込んだといわれています。小堀政一は、茶室に窓を多用することもありましたが、これも窓を減らして閉じた空間を作り上げた千利休に逆行する表現です。

織田信長の実弟、織田長益(通称、織田有楽、織田有楽斎とも)が残した茶室「如庵」は、炉の脇にある中柱と花頭の袖壁が特徴的です。二畳半台目の草庵茶室ながら武家の格式を感じさせるもので、武将である織田有楽斎が、ここを隠居場所としたのも納得がいきます。

茶道宗和流の開祖である茶人の金森重近(通称、金森宗和)は、大徳寺で禅を学んだことから、禅宗の影響が色濃く見られます。また、古田織部や小堀遠州を参考にしながら独自の表現も用いました。「姫宗和」と呼ばれる優雅で味わい深い王朝風の茶室は、とりわけ公家の間で高く評価されました。

「草庵の茶室」から発展した新たな支流である「綺麗さび」の茶室。それは極限までに簡素化された「侘び茶」に対して「書院の茶室」を懐古する、揺り戻し現象だったともいえるでしょう。

著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile

小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)の創設者。欧州各地でライターとして様々な分野で活動し、後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。

かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
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