茶室は読んで字の通り、茶を飲む座敷のことです。しかし、それだけではありません。茶室は人と人が繋がり、そして人間と自然が接する摩訶不思議な空間なのです。
「茶室」という言葉が確認された最も古い記録は『南浦文集』です。弘治元年(1555年)に生まれ元和6年(1620年)に没した僧侶、南浦文之が著した書物ですが、その頃はまだ一般的な呼称ではなく「茶室」という呼び方が定着したのは、江戸時代(1603年~1868年)後期の頃です。
それまでは「囲(囲い)」「小座敷」「茶の湯座敷」「数奇屋(数寄屋)」「茶席」とも呼ばれていました。
茶室は、今日にまで続く日本特有の建築様式や美意識の形成にも大きく寄与しています。
目次
有名な茶室
茶室と自然の関係
茶室の炉
茶室の成り立ち
書院の茶室
草庵の茶室
「綺麗さび」の茶室
茶室と桃山文化
茶室と方角
茶室の構成要素
茶室に入る手順
茶の日本伝来
著名な茶人
茶室・茶事にまつわる格言・語句
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有名な茶室
同仁斎(どうじんさい)
京都の東山にある銀閣寺(慈照寺)の同仁斎は、室町幕府の八代将軍、足利義政が過ごし心を和ませた茶室です。国宝指定。
如庵(じょあん)
もともとは京都市東山の建仁寺正伝院にあった茶室。織田有楽斎がつくりました。複数の移築を経て、現在は愛知県犬山にあります。国宝指定。
待庵(たいあん)
京都府大山崎の寺院「妙喜庵」(妙喜禅庵)にある茶室。千利休がつくったといわれています。国宝指定。
密庵(みったん)
京都市の大徳寺龍光院にある茶室。小堀遠州がつくったとされています。一般公開はされておらず、滅多に目にすることができない秘密の茶室です。国宝指定。
忘筌(ぼうせん)
京都市北区紫野の寺院「孤篷庵」にある茶室。作者は小堀遠州です。寛政5年(1793年)に火災で焼失。その後、残っていた図面を基に松平不昧が建て直しました。まれに特別公開されることがあります。国宝指定。
茶室と自然の関係
茶室とは人と自然が接する場所。都会であっても基本的に路地と呼ばれる庭がついています。
茶室とは、自然なしに語ることができず、切っても切れない仲なのです。それは、まるで赤子と母親の関係。人が茶室を求めるのは、本能に基づいているのではないでしょうか。
人は茶室に入り、無限の自然空間を感じます。そうでなければ茶室とはいえないのです。
茶室の炉
「茶の湯」という通り、茶室には湯が欠かせません。
夏季は、風通しのよい場所に「風炉」を置きます。冬季は、畳を切って埋め込んだ「炉」を使用します。
茶室にとって重要な炉は、人間にとっても重要です。火を操り、人は大きく進歩しました。人類は太古の昔から、火のある風景を見てきました。
炉は茶室に息吹を吹き込み、人間の魂に火を灯すのです。
茶室の成り立ち
初期の茶室は書院風でしたが、後に草庵風が成立しました。草庵風の完成には、茶人の千利休が大きく貢献したといわれています。
茶室の基準となる広さは四畳半で、小間はそれより狭く、広間はそれより広くなっています。伝統的な茶室には露地という庭園があります。
最も古い記録では、日本で平安時代(794年~1185年)にお茶を飲む習慣があったことが確認できます。鎌倉時代(1185年~1333年)になると禅宗寺院などで喫茶が普及しました。
和歌を詠みながら、お茶を嗜んでいると思われる様子が、正平6年・観応2年(1351年)制作の絵巻物『慕帰絵詞』巻五に描かれています。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590852
書院の茶室
初期の茶室は、貴族の住宅様式「寝殿造」が発展して成立した武家の住宅様式である「書院造」が定着していきました。これらは元々、中国から導入した唐風建築を日本で独自に発展させたものです。
「書院の茶」は中国の仏教寺院で行われた茶礼が日本に持ち込まれ発展したものです。基本的に台子を用いました。中国の影響が色濃く残っており、茶道具や掛軸、置き物などは唐物がもてはやされました。
草庵の茶室
「淋汗の茶」の茶屋に「草庵の茶」の原型が見られます。
「草庵の茶室」は茶事に特化した建築です。自由な発想に基づいており、高尚な構図から一般にありふれた素材まで組み合わせ、格式を重んじない作法にも寛容でした。
「草庵の茶室」は、日本建築や日本的な美意識の完成形。草庵化は、日本化と言い換えることもできるかもしれません。
「草庵の茶」は「侘び茶」ともいいます。村田珠光は「侘び茶」の創始者といわれています。その後、武野紹鷗が、四畳半の茶室を確立。そして千利休が、二畳から一畳台目の極小の茶室を完成させました。
その時期は、桃山美術が花開いた安土桃山時代(1573年~1603年)と重なりますが、偶然の一致ではないでしょう。(茶室と桃山文化)
「綺麗さび」の茶室
古田重然(通称、古田織部)は「草庵の茶」に新たな革新をもたらしました。千利休は「侘び茶」の世界観を大成させました。古田織部は、その方法論を受け継いで「破調の美」など創造性を積み上げました。
小堀政一(通称、小堀遠州)は、千利休に逆行する表現を用いました。
織田信長の実弟、織田長益(通称、織田有楽、織田有楽斎とも)が残した茶室「如庵」は、中柱と花頭の袖壁が特徴的です。
茶道宗和流の開祖である茶人の金森重近(通称、金森宗和)は、禅宗の影響が見られます。
「草庵の茶室」から発展した「綺麗さび」の茶室。それは「侘び茶」に対して「書院の茶室」を懐古する、揺り戻し現象でもありました。
茶室と桃山文化
安土桃山時代(1573年~1603年)の頃に生まれた桃山茶陶は、同じ時代を生きた千利休が志向していた「侘び寂び」の不完全性と見事に合致しています。
この時代、中国生まれの唐物から日本風の和物へ、価値観が移り変わろうとしていました。
安土桃山時代は戦国時代(1467年~1590年)の次の時代。日本が乱世から平和な世に移り変わる時で、日本様式の美術が花開きました。
綺羅びやかな「桃山文化」のなかにあり、粗相の美を追求した草庵の茶室は、特異な存在といえます。「桃山文化」は複合的な要素がからみあい形成されました。
次の江戸時代、庶民文化は全盛期を迎えました。日本文化を萌芽させる礎となったのが「桃山文化」なのです。
茶の湯は、上流階級の嗜みから茶道へと昇華し、社会全体に普及してゆきました。
茶室と方角
日本の建築や都づくりは、古代中国の影響を受けています。
現在の奈良にあった平城京や、長らく日本の首都だった京都の平安京は、唐の長安の都づくりを参考にしているといわれています。そのために、遣唐使が幾度となく命がけで海を渡ったのです。
長安城などの建築様式もしかり。中国建築には「陰陽五行思想」があり、日本では陰陽道として進歩を遂げました。日本の建築にもその影響が見られます。当時の都は、南側が正面になっていました。
茶室は日本で独自に発展しましたが、陰陽道の基本的な方角の考え方を継承しています。例えば、客の玄関である躙口は、南にあるのが習わしです。
茶室の構成要素
茶室は大きく「露地」と「待合」と「茶席」の三つからなります。茶室を構成する重要な要素には次のようなものがあります。
露地(ろじ)
人と自然の接点である茶室には、露地とよばれる庭があるのが基本です。茶庭ともいいます。
待合(まちあい)
露地にある客の集合場所です。亭主の準備が整い出迎えがあるまで、ここで腰を掛けて待機します。
飛石(とびいし)
露地に敷かれた石です。この上づたいに歩いてゆき、最後の飛石である踏石(沓脱石)で履物を脱いで躙口に入ります。
蹲・蹲踞(つくばい)
露地にある小さな手水鉢です。茶室に入る前に手を清めるためのものです。水琴窟が使われることもあります。
茶席(ちゃせき)
茶の湯を催す座敷です。茶室の建物内部の呼称です。
躙口(にじりぐち)
高さはおよそ二尺三寸(69.69 cm)、幅はおよそ二尺二寸(66.66 cm)。躙口をくぐる前に、刀などの装身具は外す習わしです。板戸の開閉には「挟み敷居」や「挟み鴨居」といった仕組みが用いられています。
貴人口(きにんぐち)
高貴な人が、四つん這いをすることなく、立ったまま出入りできる入り口です。主に二枚障子が使われます。躙口ができる前の茶室は、貴人口が通常の出入り口でした。
茶道口(さどうぐち)
亭主の出入り口です。茶室と水屋の間にあり、茶を点てる際に通ります。勝手口、茶立口、亭主口とも呼ばれます。
水屋・水谷(みずや)
茶の準備や片づけをする場所です。棚があり茶器を洗って乾かすことができます。茶道具も収納されています。勝手や台所に相当します。
炉(ろ)
茶に用いる湯を沸かすためのものです。季節によって冬場は畳部分を切ってある炉を用い暖をとります。夏の間は風炉で熱を逃がします。初期の茶室に炉はなく、小間が登場する頃にしつらえるようになりました。
床の間(とこのま)
掛物や花入などを飾る場所を床(床の間)といいます。木の板を用いる場合と、畳の場合があります。床の場所によって上座床、下座床など様々な呼称があります。
中柱(なかばしら)・曲柱(ゆがみばしら)・台目柱(だいめばしら)
炉の側にある柱です。様々な木が使われます。直線的な製材をせずに、木の自然な曲線を生かす傾向があります。
天井(てんじょう)
茶室は、客が座す側の天井のほうが、亭主が座す側の天井よりも高くなっているのが基本です。伝統的な日本の書院造りでは、床が一段高くなっている上座に客が座ります。しかし、茶室は四畳半や二畳など狭い空間のため、床に段差をつけることは実用的ではありません。そこで、床の代わりに天井の高さに差をつける落天井で、客人への敬意を表現したのです。また、高さ以外にも意匠や素材で違いを出す工夫も見られます。
窓(まど)
古来の日本建築とは異なり、茶室は窓が少なかったり小さかったりする傾向があります。茶室の窓の種類には下地窓、連子窓、突上窓、無双窓、虫籠窓、色紙窓などがあります。
茶室に入る手順
茶室には、露地という庭があるのが基本です。躙口まで飛石が敷かれている場合もあります。
茶室に入る前に、寄付(よりつき)という場所で、茶事には使わない携行品を風呂敷に包み、準備をします。
そして「待合」という部屋で客が揃うまで時間をやり過ごします。
露地草履を履き、腰掛待合に座り、亭主の迎えに従って、躙口から茶室に入ります。
湧き水など、取水が備わっている場合は、入室の前に手と口を清めます。
茶の日本伝来
茶室は、お茶を抜きにして語ることはできません。遣唐使に同行した留学僧で後に伝教大師と呼ばれるようになる最澄が、茶の種子を持ち帰ったことが日本における茶の歴史の始まりです。最澄は、比叡山麓の坂本に茶を植えたとされます。
弘仁6年(815年)に嵯峨天皇が近江国の韓崎にある梵釈寺に行幸した際に、大僧都・永忠が煎じて献上したのが、茶事について現存する最古の記録です。
日本での茶の文化は、一時は廃れてしまいますが僧侶、栄西が建久2年(1191年)に宋(南宋)から帰国し、持ち帰った茶を肥前霊仙寺で栽培し日本で最初の茶書となる『喫茶養生記』を著しました。
室町時代(1336年~1573年)に、飲んでお茶の種類を推測する「闘茶」という催しが人気を博しました。
銘柄や産地を当てる「茶香服」という「闘茶」に似た催しが今日でも行われています。
「闘茶」のために人々が集った会場「会所」が、やがて茶室が誕生する切っ掛けを生みました。
その後、喫茶が茶道となり、茶室とともに日本独自の文化として発展を遂げてゆきます。
著名な茶人
栄西(えいさい、ようさい)
村田珠光(むらた じゅこう)
武野紹鷗(たけの じょうおう)
千利休(せん の りきゅう、せん りきゅう)
丿貫(へちかん、べちかん)
古田織部(ふるた おりべ)
本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)
小堀遠州(こぼり えんしゅう)
織田有楽斎(おだ うらくさい)
千宗旦(せん の そうたん、せん そうたん)
金森宗和(かなもり そうわ)
松平不昧(まつだいら ふまい)
茶室・茶事にまつわる格言・語句
茶室には様々な思いや思想がこめられています。大きな影響を受けた禅宗の語彙も、茶道では頻繁に登場します。そして、この小さな茶室で、日本を代表する多くの名言が生まれました。
一座建立(いちざこんりゅう)
一期一会(いちごいちえ)
以心伝心(いしんでんしん)
侘び寂び(わびさび)
綺麗さび(きれいさび)
破調の美(はちょうのび)
お茶を濁す(おちゃをにごす)
守破離(しゅはり)
利休七則(りきゅうしちそく)
和敬清寂(わけいせいじゃく)
日日是好日(にちにちこれこうじつ、にちにちこれこうにち)
松無古今色(まつにここんのいろなし)
無事是貴人(ぶじこれきにん)
喫茶去(きっさこ)
円相(えんそう)
且座喫茶(しょざきっさ、しゃざきっさ)
茶煙出戸深(さえんこをいでてふかし)
四海皆茶人(しかいみなちゃじん)
茶遇知己喫(ちゃはちきにあいてきっす)
平常心是道(びょうじょうしんぜどう、へいじょうしんこれどう)
看脚下(かんきゃっか)
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile
Follow @nagatackle小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)の創設者。欧州各地でライターとして様々な分野で活動し、後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。
かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
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