Furoshiki & Japan
風呂敷 & 日本
風呂敷は日本の特色を非常によく体現する文化です。日本にはまた、他にも風呂敷と関連する点のある文化が存在します。
目次
袱紗(ふくさ):
折り紙:
着物:
漫画:
比喩:「大風呂敷を広げる」
勿体ない精神:
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袱紗(ふくさ):
袱紗のルーツは元々、大事なモノの収容された箱を保護するために上に掛けたり包んだりしていた風呂敷でした。進物を包むことで、相手に対する礼節や心遣いを表現します。礼儀や敬意を大事にする、非常に日本的なものと言えます。風呂敷でモノを包み贈呈する際にも、同様に贈る側の気持ちを相手に伝える意味があります。
比較的小さな寸法のものは、帛紗(ふくさ)と書きます。冠婚葬祭の熨斗袋を袱紗で包む際は、弔事(葬儀などのお悔み事)には左前に包み、慶事(結婚式などのお祝い事)には右前に包みます。これは、風呂敷でモノを包む際にも、同様の作法が当てはまりますが、袱紗は、婚礼や葬儀などで用いられるため、作法には細心の注意が払われます。近年は、熨斗袋を包む事に特化し、封筒のような形状をしている「金封ふくさ」もあります。
上等な風呂敷を袱紗の代わりとすることも出来ますし、両者に厳密な違いは見た目からは分かりづらいですが、一般的に日常生活で使うものを風呂敷と呼び、特別な儀礼などの際に金品を包むのが袱紗とされます。袱紗は、金封のような小さいものを包むことも多く、風呂敷より小さい傾向があります。
袱紗は茶道の道具としても用いられます。茶道で必要となる小物を入れて携行する袋を袱紗挟み(帛紗挟み)と呼び、道具には袱紗、また袱紗よりさらに小さい古袱紗(小袱紗)などがあります。袱紗は礼を重んじる茶道の重要なアイテムと言えます。
折り紙:
風呂敷は正方形の平たい布ですが、日本独自の文化である折り紙も同じく正方形をしています。1枚の正方形の紙を折って様々なものをつくり出します。鶴やハート、手裏剣や兜、船や飛行機、木の葉や紅葉、メンコや風船、カメラやパクパク、猪やうさぎ等々、想像の数だけ折り方があります。
着物:
風呂敷と同じく、日本を代表する布の文化に着物があります。日本の伝統衣装である和服は、着物と言うこともありますが、こちらも風呂敷と似た特徴があります。
洋服が体の形に合わせて立体的に縫製されているのに対して、着物は平面的に縫製されています。風呂敷も平面的な布です。
着物を作る際は、反物の四角い生地を最大限に生かし、直線裁ちしますので、無駄になる生地の部分(切れ端)は、ほとんどありません。生地というのは昔、手織りで作られ大変高価なものでしたから、和裁にはモノを無駄にしないという精神が息づいています。
規模の違いはあれ、洋服は各人の体型にカスタマイズして作る必要がありますが、着物は一つあれば、非常に幅広い体型に対応できます。食生活の変化や加齢とともに体型が変わっても、帯で胴回りを調節できるため、長い年月、着ることが出来て、晴れ着を孫の代にまで受け継ぐということも珍しくありません。
夏服や寝間着、普段着として位置づけられる浴衣も基本的に同様の発想で着物よりさらに簡素化されて作られています。
平面的で、一つで非常に幅広く使うことが出来て、無駄がない着物は、風呂敷と共通の特徴を有しており、両者は実に日本的だということが出来ます。
漫画:
日本の社会に深く根付く風呂敷は、同じく日本の代表的な文化である漫画にも度々、登場します。
藤子・F・不二雄のSF漫画『ドラえもん』のアイテムには、「タイムふろしき」があります。この1メートル四方の風呂敷の表面で包んだモノは、時間が早く進行し、裏面で包むと時間が逆行するというものです。壊れてしまったものが元通りになったり、人に被せると若返ったりします。
また、日本の漫画に登場する典型的な泥棒というのは、こんもり膨らんだ緑の唐草模様の大風呂敷を背負っています。泥棒稼業は、人に気付かれないように、迅速に仕事を片付ける必要があります。そんな肝心、要の場面で風呂敷が登場します。これは、多くのモノを素早く効率的に包み、持ち運び出来る風呂敷の機能性の高さの裏付けでもあります。
比喩:「大風呂敷を広げる」
大風呂敷は、広げた時の寸法がとても大きく、実際には、そのような大きいものを包むことは滅多にありません。
そこで、実際には実現が難しいような壮大な計画、内容が乏しいのに外見だけは大げさなこと、誇張した話などを例えて「大風呂敷を広げる」と言うようになりました。
勿体ない精神:
風呂敷は、無駄をなくし環境に非常にやさしいものです。食べ物や才能など、何かが無駄になっていると感じた時、日本では「もったいない」とよく言います。
公共広告機構のまんが日本昔話シリーズのコマーシャルでは、食べ残された大根や人参が「もったいないお化け」となり、枕元に現れ「もったいねえ」と呟きます。「勿体ない」というのは「本来あるべきものがない」という日本古来の哲学的な言葉で、現在でも日常的に使われています。つまり「勿体ない精神」とは、日本に古来より伝わる哲学なのです。
著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile
Follow @nagatackle小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)の創設者。欧州各地でライターとして様々な分野で活動し、後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。
かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
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