Furoshiki History
風呂敷の歴史
風呂敷には、実に長い歴史があります。その定義づけにより「世界中の布」と広義的にとらえると1万年以上ということも出来ます。狭義的に「日本の風呂敷」とすると、1200年以上前に遡ります。
布は、人々の生活に大変重要で、世界各地で古くから用いられています。布の歴史は1万年以上といわれています。当時、織機はもちろんなく手織りされたものでした。約5千年前ごろから組織的に量産が行われるようになり、数千年前ごろに織機が誕生したと言われています。日本でも縄文時代から麻が使われていました。
布が作られるようになって以来、それで物を包むという行為は、必然的に行われていたことが考えられます。しかし、正方形の布1枚で、これだけ多様な使い方を発達させた日本の風呂敷の例は非常に稀だと言うことが出来ます。
定義づけにより、風呂敷は世界各地にあるともいえますし、日本で独特の進展をとげた固有の文化と言うもとも出来ます。
目次
風呂敷の起源:
現存する最古の日本の風呂敷は、正倉院(奈良)にあります。8世紀の頃のもので、僧侶の袈裟や舞楽の装束などの特別なものを包むためのものでした。歴史的に重要なものを包んでいたために、今日まで良好な保存状態で残されました。当時の風呂敷には現在の風呂敷にはない紐がついているのが特徴的です。
「風呂敷」という呼称はまだなく、正倉院御物には、ともに「つつみ」という意味の「裹」や「幌」という文字が記されています。その後、平安時代中期の承平年間(931年 – 938年)に作られた辞書である和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)には「ころもつつみ」(衣包)とあります。
平安時代末期の12世紀に成立した平安装束について仮名文で記された有職故実書の、まさすけしょうぞくしょう(満佐須計装束抄・雅亮装束抄)には「ひらつつみ」(平裹・平包)という表現が出てきます。
12世紀後半に京都の庶民を描いた「伴大納言絵巻模写」には、ひらつつみ(風呂敷)を使う様子が見受けられます。
室町時代ごろには、武士が集団で入浴する際に、各自の衣を包み、入浴後にはその上で衣をつけたことから、「風呂敷」という言葉が生まれたという説があります。1616年に徳川家康の遺品分配書にあたる「駿府御分物御道具帳」に「こくら木綿風呂敷」と記されているのが、現在知られている最古のものです。
近世に市民に普及:
一般的な呼称が「平包み」から「風呂敷」になったのは、1700年代頃と言われています。江戸時代に入ると安定した社会基盤を背景に都市文化が栄えました。銭湯が普及し、ごく一部の有力者のための高価な娯楽であった風呂が大衆の手にも届くようになりました。
商業が発展し、物流や行商の際に、風呂敷が大いに役に立ちました。また、人口増加の一途にあった江戸では、密集した木造の長屋から出火し大規模な都市火災が発生することもしばしばだったため、家財道具一式を迅速に包んで避難するのにも風呂敷は重宝しました。
近代以降の盛衰:
明治時代に入ると封建制の世が終わり、四民平等で誰もが苗字や家紋を持つことが出来るようになり、家紋入りの風呂敷の需要が増えました。
殖産興業が国策となり、産業革命による技術革新で製法は手織りから機械織りになりました。生産体制も問屋制家内工業から工場制手工業へ、そして工場制機械工業へと規模が拡大し、生産力が飛躍的に増大しました。そしてそれまで天然染料のみだったのが、合成染料も利用されるようになりました。大正から昭和にかけては、絹の代替品の化学繊維、レーヨンが普及しました。
戦後は、増々の生産技術の向上で生産量も増加しましたが、生活様式が欧米化するにつれ、風呂敷よりも鞄を使うことが一般的となりました。スーパーマーケットやデパートでは、買い物客へのサービス向上のために、無料で紙袋やビニール袋が提供され、風呂敷はどんどん日常で使用される機会が減ってゆきました。そして冠婚葬祭の引出物などの贈答品としての需要が目立つようになりました。
近年になると、環境意識の高まりから、簡単には分解せずに自然環境を破壊し、生態系や動物たちの生命をも危機にさらすレジ袋の代替品として風呂敷の価値が見直されています。
著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile
Follow @nagatackle小説作家、クリエーター。英国立大学UCAを卒業。卒業論文では、日本のミニマリズムについて論じた。エコロジーやライフスタイル等、社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)の創設者。欧州各地でライターとして様々な分野で活動し、後にナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。
かつてブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡った。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。
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参考:
国立民族学博物館(日本)、特別展:世界大風呂敷展 布で包む ものと心